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~浜岡原発、お世話になりました。ありがとう!といえる日~2011,3,16記                              

         (地湧社 『湧』掲載のための原稿)

 3月11日に起こった東日本巨大地震は、多くの人の命を奪い、
街や暮らしを破壊し尽くし、未だにその被害の全容が掴めない混乱が続いていますが、
最悪の事態、世界史の中で始めて記録される『原発震災』になってしまいました。

福島原発は、地震で運転は停止しましたが、
停電によって原子炉の冷却が行えなくなり、
放射能漏れを止める事が出来ないまま、5日が経ちました。
 
未だに悪夢を見ているようですが、
地震当夜、巨大な津波の被害を報じる中に、
少しずつ福島原発のトラブルが伝えられ始めると、
私は、次に進行する原発震災のシナリオが手に取るように予測することができました。

それは、今回の福島原発の放射能漏れ事故は、
私たちが2002年4月に“老朽化した浜岡原発をマグニチュード8の東海地震が直撃する前に止めよう!”と
全国の住民1016名を申し立て人として起こした
『浜岡原発差し止め仮処分裁判』で主張した原発震災と全く同じ様相だったからです。

 浜岡原発仮処分裁判の申し立てを行うきっかけになったのは、
その前年(2001年)に起こった浜岡原発1号炉の配管の破断による放射能漏れ事故でしたが、
その時には、私は裁判を起こすなどとは考えてもいませんでした。
しかし、この配管破断事故の新聞写真を見た私は、
浜岡原発はすでに老朽化していて、東海地震がこなくてもボロボロで、
地震に耐えられるはずは無いと思い、
当時、17歳と12歳だった息子たちに、
「もし、ビルが壊れるような地震が来たら、誰も指示はしてくれないけれどこれを飲みなさい。」
とヨウ素剤を手渡しました。
しかし、何の責任も無い子どもに、ヨウ素剤を手渡す事しか出来ない自分自身に傷つき、
大人として何かもっと出来る事があるはずだと・・と、
裁判に参加したのです。
紫陽花の花2

多くの時間と労力を費やした浜岡原発仮処分裁判は
『国の耐震基準に準じている原発の運転は妥当』だと完全な門前払いで終わりましたが、
その間、巨大地震によって引き起こされるであろう原発震災の可能性について、
原告側である私たちは、多くの専門家の証人を得て、
膨大な書面を準備して論証しましたので、
事務局長をしていた私は、自然に、原発震災の全容を知るようになったのです。

こうして、息子たちにヨウ素剤を渡してから10年目の今年。
福島原発1号機で爆発が起こった12日(土)、
長男は「とんでもない事になったね。」と深くため息をつき、
悲しそうな顔でニュースに聞き入っていました。
夫は原発事故の報道の少なさや、国の対応の遅さから重大事故を予測し、
次男は、「これで、母さんが言ってきたことが正しかったと分かったね・・」と呟きました。
「こんな事故が起こって、私たちの主張が正しい事が証明されなくても良かった・・」
と言う私を見て、長男は言いました。
「どうして、そんな甘い事を言っているの。
こんな事になってしまったのだから、
今、浜岡原発を止めなかったら、いつ止めるの?今なら、皆が気付けるでしょ。」

福島原発でなぜ、原発震災が起こったのだろう?
巨大地震が東海地方で起こって、
原発震災は浜岡原発で起こっても良かったのではないか?
もし、浜岡原発で同じ事が起こっていたら・・。
そんな想いに揺られていた私でしたが、
「今、浜岡原発を止めなかったら、いつ止めるの?」
という一言で、正気に戻りました。

これが現実ならば、幼い子どもたちを守らなければ・・・と、
放射能から身を守るためにできる日常的なアドバイスを書き、
メールで配信し始めました。

そして、浜岡原発を止めるよう、
中部電力社長と静岡県知事に願いを届けるために要望書を書き、
知人に賛同を呼びかけるメールを送りました。
すでに静岡市では、浜岡原発を考える市民グループが
知事と中部電力社長へ要望書を提出してくれていましたので、
私はより多くの人に賛同してもらい、
福島原発の過酷な現実に押しつぶされてしまうのではなく、
浜岡原発に心を留めてもう事で、
一刻も早く浜岡原発を止めようと考えたのです。

3月13日の夜から呼びかけた賛同のお願いは、
人から人へと転送されて、2日の間に数千人の賛同が寄せられ、
3日目の今日は、1万人をはるかに越えました。

インターネットで呼びかけをするのも始めての経験で、
仲間と一緒にこの巨大な賛同者名簿を前に、
新しい時代を目の当たりにしていますこの瞬間も福島原発の建屋の中では、
放射能汚染を最小限に食い止めようと、
被爆をしながら作業をする大勢の人が居てくださる事を思うと、
感謝と辛さで涙が溢れてなりませんが、
そんな私を励ますように、
私たちのスペースを初めて訪れてくれる若者たちや賛同者が後を絶ちません。
そして、年齢や性別に関係なく、
初対面の人が「浜岡原発はもう、要らないよね」
と語り合う光景が見られるようになりました。
という事は、きっと日本国中で「もう、こんな危険な発電所は要らないよね・・・」
と話されているに違いありません。

「原発」という言葉も知らなかった私が
チェルノブイリ原発事故と放射能汚染について知ったのは
『まだまにあうのなら』を手にした1987年でした。
そして、今、浜岡原発を止めたいと訪れる若者たちは、
チェルノブイリ原発事故を知らない世代、
それでも原発は要らないと彼らは知っています。
 
私は浅い眠りの中で、2晩2つの光景を夢に見ました。
1つは、津波で壊滅され、見渡す限りの瓦礫の町に、
送電線も高圧線電線もない、
自然エネルギー100%(太陽光発電、バイオマス発電、風力、波力、地熱発電・・)
地産地消の電気で暮らす新しい緑豊かな町がゆっくりと築かれていく光景。

もう1つは、県庁から市役所へと続く道を、
色とりどりのプラカードで埋め尽くして
“浜岡原発が止まったお祝いのパレード”が、
笑顔で喜び合って進む日の光景です。

その日を迎えるために、
今回、要望書の賛同を募る中でもたらされた質問
「原発を止めたら電気が足りなくなってしまうのに止めてどうするの?」
「自然エネルギーは何が一番良いの?」
「原発を止めたら、どうやって廃炉にするのですか?」
の1つ1つに資料を作ったり、意見を聞いたりして、
未来を共有していきたいと思っています。

悲嘆や悲観ではなく、
何を目指し、何をしていけるのか、考えるきっかけを私たちは手にしました。

放射能汚染という大き過ぎる代償を払った日本の原発と日本の暮らし。
原発は国策・・・という人がいます。
では、国策を決めるのは誰なのでしょう?

「国の基準だから安全」、「原発は絶対安全」
と言い切る人が居ました。
子どもだって信じないそんな話を信じた大人たち。
巨額の税金が原発のある町にもたらされるのは、
危険手当だったのですね。
もう、原発のお伽噺から覚める時が来たと思います。
          
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東海地震と浜岡原発 (3月21日記)

3月11日(金) 14時過ぎ、
日本で前例を見ない巨大地震が東日本を襲い、
世界史初の原発震災(地震による原子力発電所の事故)が起こり、
福島原発の放射能漏れは、現在も進行中です。

11日は三島市での講演を終えて、
三島駅14時26分発の新幹線に乗って静岡に向かっている車中に
地震が起こったようでした。

静岡市内でも大きな揺れを感じた地震も、
新幹線の中では全く揺れを感ずることなく、
停電による列車停止の車内アナウンスで地震があったことを知りましたが、
車内に2時間余り閉じ込められている時には、
こんな大災害になるとは誰も想像すらしなかったと思います。

12日(土) 福島原発の爆発、放射能漏れ事故が起こったと知り、
私は『東海地震の前に、とにかく浜岡原発を止めなければ!』と
賛同者を募って、静岡県知事と中部電力社長へ
要望書を提出する準備をはじめました。

この経緯は プラムフィールドHP
http://www.geocities.jp/plumfield995/ をご覧下さい。

賛同者の募集は、14日(月)から17日(木)の4日間に限り、
急いで要望を届けようとしたのですが、
メールで賛同者の登録を行うようにした為、
瞬く間に賛同者募集メールは、人から人へと
手渡され、賛同者は27000人を越えました。

2002年4月25日『東海地震が過ぎ去るまで、
浜岡原発の運転差し止めを求める』裁判を申し立て、
市民2000名と一緒に、巨大地震で老朽化した原発は
絶えられないと申し述べた原発事故が、
まったく同じように福島原発で起こっていく様子を
テレビ報道で観ながら、
裁判で繰り返された中部電力の
『国の基準で作られているから絶対安全』
『仮説に基づく被害を申した立ても現実の被害は想定できない』
という主張は、いったいなんだったのでしょうか?

福島原発事故は、浜岡原発裁判で
原告が述べたそのままの出来事が現実となっています。

原発は日常的な運転であっても原発で作業している人は
微量の放射能汚染を受け、原発施設近くの住人は
中性子を日々受け続けています。

そして、今回のような事故が一旦起これば、
周辺の住民だけでなく、そこで作業している人びとは、
命を懸けて事態を受け止めなければなりません。

毎日、福島原発からの放射能漏れは続き、
ついに、食品の汚染も報道されるようになりました。

25年まえに起こったチェルノブイリ原発事故後から、
日本の多くの人々が、原発の危険性に気づき、
エネルギーの転換を求めてきた事は直ぐには、叶わず、
こうした事態に遭遇して始めて、『原発と暮らし』が
話題になっていく・・・・。

これから長い、長い時間をかけて
この放射能災害の汚染を引き受けていかなければならない現実に
押しつぶされないように、
しっかりと、未来を語っていきたいと思っています。

このつぶやきのページに書き込む事と、
プラムフィールドHPに呼びかけることが
リンクして、私の願いが皆さんの願いと重なっていくように、
心から祈り、行動したいと思います。


地方選挙と私 雑感Ⅲ(3月10日記す)

何年ぶりかの大雪に見舞われた北陸・加賀にも
春の訪れが感じられる頃となりました。春の柴山潟


加賀に夫が赴任してあっという間に1年が経ちました。
この間、静岡と加賀、そしてその中間地、実母の暮らす岐阜を
旅人のような新鮮な目で行き来し、
命の洗濯(心の充電)を行っていた私ですが、
加賀の住まいの周りに訪れた春の姿は、
命の巡りを実感させてくれる自然の営みがあります。

手入れすることなく、そのままの自然の庭に、
一夜にして70センチの雪を積もらせる冬。
その庭も夏は、次々と勢いのある草が丈高く茂り、
刈っても、刈っても追いつかないほどの勢いで
草に覆われていました。

雪が溶けて、久しぶりに庭に出てみると、春の加賀の家

あれだけ育っていた草たちは姿を隠し、
庭の土は、すっぽりと足が取られてしまうほど、
枯葉や姿の無い草のエネルギーで軟らかく温かく感じられます。

その土の優しい事。
温かい事・・・。
姿の無い命も、確かに命は循環している事が感じられます。

目に見えるものだけが、命(現象)ではない・・
と、感じられる自然の庭。

人の営みも同じように、命は循環している・・
そう思います。
春の加賀の家2

この春の選挙に、私の知る若い母親2名が
新人として立候補してくれました。
そして、同世代で活動を一緒にしてきた人や
繋がりのある女性が3名、市民活動の中から・・。

人は誰もがその人の目指すものに向かって、
歩んでいる(生きている)と私は思うのですが、
プラムフィールドという誰が訪れても良い場に居ると
時々、こんな台詞に出会います。

「誰がやっても同じ。政治なんて変わらない。」
「政治家はみんな、お金の事しか考えていないから・・」

たったこれだけの切り取られた言葉、
よく聞く言葉ですが、
それは真実や希望、人が願い目指すものを著すには、
思慮された言葉ではないように感じます。

私はわが子を含めて、後輩たちに語るとき、、
実体の無い憶測や観念的な否定を植え込むような言葉は
使いたくないと思ってきました。

誰がやっても同じかどうかは、
やってみなければ分からない事ですし、
同じようにならないように、心して取り組む事も出来るはずです。
そうでなければ、子どもたちは何故、学ぶのか、
将来を見つけ出せなくなってしまいます。
大人である私たちも、希望を実現しようと、
手を繋いで、今日という日から未来を創っているのではありませんか?
2010年ファッションショー

行き詰った社会に不安を感じている人も多いでしょう。
しかし、政治も小さな、小さな呟きが合流して
社会的な選択が変わる生き物です。
『政治』という固定した物質(権威)があるわけではありません。
私たちの観念が選択した結果が今日の政治(社会)です。

1人1人の願いや行動はそんなに無力ではありません。
YWCAキルト

食べ物の活動をしていると、それが分かります。
この20年で食べ物の情報は遥かに多くなりました。
安全な食べ物を選択する事も容易く(たやすく)なりました。
この変化は、先人たちの命の呟きと行動中から
私たちにもたらされた賜物に他なりません。

それを実感しえない人は、
行動してこなかったから気付かなかっただけです
そして、行動すれば直ぐに気づく事が出来ます。

政治も暮らしも、生き方も社会も、
私たちが選択する方法で実現するという事を
心にしっかりと携えて生きたいと思います。


統一地方選挙と私 雑感Ⅱ (2月6日記す)

『どんな人が政治を目指すのか?』
   (今日の写真も マイ・ブームの那谷寺です)
毎日の暮らしを選択的に、自立した考えで歩んでいる人が、
周囲で『選挙』という事態が起こると何故、
それまで場を創っていた空気が一変してしまうのでしょう?
人生のテーマに『政治(社会の制度を作ること)』を選ぶ人は、
特殊な人だと思われるのはなぜなのでしょうか?
それとも、誰もそんな事を思っていないのでしょうか?名刹雪の五重塔


・・・・・・・・・・・・・・・・

私は幸か不幸か、
結婚以来、夫の希望で『職業』を持つことなく、
自分自身がやりたい事、やれる事を続けてきました。
そのやりたい事は、いつも
『どう暮らしたいか、願いを仲間と一緒に実現する』事でした。

結婚してまもなく妊娠した私が最初に発した問いは、
『生まれてくる命を創る食べ物、何をどう食べたら良いか?』
という問いでした。

命に対して実に未熟で、無知な私は、
それまでの人生で、問い掛けた事のないテーマでしたが、
私の問いに応えてくれる活動は
すでに全国各地にあり、私が当時住んでいた浜松でも、
先輩たちが食べ物の共同購入を行っていて、
無知な私であっても、直ぐに問いに答えてくれる人々と
出会うことが出来ました。

そのグループに入れてもらうことで、
命の糧として相応しい食べ物を、同じ思いの人と一緒に、
分かち合う事が出来たのですから、
私は自分の問いをそのままにすることなく、
暮らしの中で動き、願いを叶えられた訳です。

命のとって相応しい食べ物を得るという事は
その食べ物がどう作られているかに関わります。
それは『安全』と表示されたものではなく、
『良心的に創りたい』と望む人が居て初めて、
『安全(なんと薄っぺらな表現なのでしょう!?)』に
作られ、届けられる事を可能にします。
那谷寺景色

無農薬野菜を届けるという約束の団体(先駆的な有名な組織)が、
浜松の流通卸しで地場の野菜を買っていたという実際の経験は、
『便利に、簡単に安全は買えない』という教訓を得るために
私に与えられたものだったと思っています。

どんなに無添加、無農薬、有機栽培・・・と
表示してあっても、
それが表示する人の心(誠意)から出たもので無ければ、
本当は無添加でなくても、そう表示する事は可能ですし、
そう表示することで得られるものを求めようとすれば、
意識的にそう表示される事もあるからです。
無農薬と書きながら、農薬を使う事も厭わない人が居ることも
容易に想像できます。

私が『食べ物』を通して、学んだ事は、
『作っている人が、何を求めてそれを作っているのか』
表示ではなく、私たちはその人の存在、
その人の思いを現した仕事そのものに感謝することで、
『喜びが繋がり、命の糧として相応しい食べ物』として
信頼することが出来るという事でした。

この26年前のこの経験と直感は、
その後の私の生き方、人生を選択する基準を創ってくれました。
それは、人への信頼の礎は、
その人の何を求めているのか、その願いに私自身が繋がれるかどうかだという事でした。那谷寺赤い屋根

考えれば、それは誰もが、そうしていることなのかもしれません。
例えば、お金を儲けたいという願いを持つ人は
そういう作業や仕事と繋がるでしょうし、
名誉や賛美が欲しければ、それが得られる場を求めるでしょう。

言葉(表現や表示)は、人に気に入られるように取り繕う事も出来ます。
無農薬という表示。
人の為に奉仕したいという表明。
福祉社会を作るというマニフェスト。
子どものため・・という母親の言葉。

しかし、真実を求める心(魂)から言葉でなければ、
誰か、何かの受け売りで使われた言葉は、
直ぐに変異して、世のもの(業)に流されてしまいます。

真心が求めるものを実現しようとする表示(マニフェスト)が余りにも少ない政治に、
主権者である1人1人の生活者が、諦めるよりもっと悪い事態、
政治を行おうとする人への懐疑を作ってしまったように思います。

私が続けてきた活動の近いところ、
あるいはその周りで『選挙と政治』の動きが出る度に、
平和で友好的であった市民活動がガサツキ、
後ろに回ったり、仲間であったはずの人が知らない人を装ったりするのは、
何故なのだろう・・。
私はその度に、問い、眺め、人の心を感じようとしてきました。

「そんな探求は政治学者に任せて、
あなたはやるか遣らないかが問題なのよ」
「人の心なんか、自分の得になれば賛同し、
損になると思えば反対に回る。ただそれだけよ」
と言ったのは、親しい女性議員でした。

政治を志す人の表示と内容の乖離は、
多くの人々を懐疑から、不信感や潜在的な怒りの感情となって固まってしまったかのようです。那谷寺境内

政治を志した人は、政治の場に居る間に変質するのか、
それとも最初から『表示』は有権者に迎合していただけなのか?
という私の問いの設定は、誤りだったような気がします。

『その人』の在り様は、
その人の魂が求めるものが瞬間、瞬間、選び取り、
その結果、その人自身を創り上げていくものですから、
その時の環境によって、選択する可能性は無数に変数となるからです。
しかし、それであっても変わらないものが在る気がします。

それは、その人の持つ根っこがどこに在るかということです。
その根っこが命に深く根ざした人と、
いつも社会に派生した虚飾(地位、名誉など)を追って、
他者に翻弄されている人とでは、『表示』の真実性が違ってくると思うのです。
候補者だけでなく、有権者の行動も・・・・。

統一地方選挙と私 雑感Ⅰ (2月3日記す)

(今日の写真は、加賀市の名刹 那谷寺の冬景色です。
  那谷寺 http://www.natadera.com/)

選挙が近くなる度に、
暮らしと政治、そして私たちが続けている市民活動について、
考えを深める機会を得ています。

昨年の12月中旬に
「候補者として出る気持ちはありませんか?」
と静岡のある政党系の議員さんからお誘いを受け、
今までも何度かそうしたお話を頂いていましたが、
今回は、今までと違う経過と想いで、
私の歩いてきた長い長い市民活動の路(27年)を
静かに、深く振り返る時間を過ごす事ができました。
名刹那谷寺の門

家族、恩師、政治(選挙)に関わっている友人や先輩、
そして、現在、議員をしている知人などに
話を聞いてもらう機会を得て、
その1人1人から私にギフトされる『言葉』に耳を傾けながら、
改めてその人の人生観や価値観、
常識や願い求めるものを知る機会になったのは不思議でした。名刹那谷寺観音


人はどの様にその人の人生の礎を形作っていくのか?
選挙という『勝ち負け』『票』『支持者』という
目に見える成果を問われる場に関わるという事は、
どういうエネルギーを必要とするのか?

それを私が言葉として知って、
他者である私の助けになる訳ではありませんが、
私は『その場』『その人の価値観』『その人の意識』を
印画紙に写し取るように、聞けるようになっていました。

動揺や混乱、迷いなどとは無縁の
静かで、明確なメッセージを、
『その人の言葉』を通して聴き、
経験をする事ができました。
名刹那谷寺1

今後、私自身がどの様なお役を頂き、
どの様な働きをさせてもらえるのか、
神様の御心の在り処は分かりませんが、
神様の計らいであっても、
しっかりと自分の心で選択したものとして行動できるように、
この2ヶ月の経験と受け取った叡智を
記しておきたいと思います。

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Tosiko

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