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統一地方選挙と私 雑感Ⅱ (2月6日記す)

『どんな人が政治を目指すのか?』
   (今日の写真も マイ・ブームの那谷寺です)
毎日の暮らしを選択的に、自立した考えで歩んでいる人が、
周囲で『選挙』という事態が起こると何故、
それまで場を創っていた空気が一変してしまうのでしょう?
人生のテーマに『政治(社会の制度を作ること)』を選ぶ人は、
特殊な人だと思われるのはなぜなのでしょうか?
それとも、誰もそんな事を思っていないのでしょうか?名刹雪の五重塔


・・・・・・・・・・・・・・・・

私は幸か不幸か、
結婚以来、夫の希望で『職業』を持つことなく、
自分自身がやりたい事、やれる事を続けてきました。
そのやりたい事は、いつも
『どう暮らしたいか、願いを仲間と一緒に実現する』事でした。

結婚してまもなく妊娠した私が最初に発した問いは、
『生まれてくる命を創る食べ物、何をどう食べたら良いか?』
という問いでした。

命に対して実に未熟で、無知な私は、
それまでの人生で、問い掛けた事のないテーマでしたが、
私の問いに応えてくれる活動は
すでに全国各地にあり、私が当時住んでいた浜松でも、
先輩たちが食べ物の共同購入を行っていて、
無知な私であっても、直ぐに問いに答えてくれる人々と
出会うことが出来ました。

そのグループに入れてもらうことで、
命の糧として相応しい食べ物を、同じ思いの人と一緒に、
分かち合う事が出来たのですから、
私は自分の問いをそのままにすることなく、
暮らしの中で動き、願いを叶えられた訳です。

命のとって相応しい食べ物を得るという事は
その食べ物がどう作られているかに関わります。
それは『安全』と表示されたものではなく、
『良心的に創りたい』と望む人が居て初めて、
『安全(なんと薄っぺらな表現なのでしょう!?)』に
作られ、届けられる事を可能にします。
那谷寺景色

無農薬野菜を届けるという約束の団体(先駆的な有名な組織)が、
浜松の流通卸しで地場の野菜を買っていたという実際の経験は、
『便利に、簡単に安全は買えない』という教訓を得るために
私に与えられたものだったと思っています。

どんなに無添加、無農薬、有機栽培・・・と
表示してあっても、
それが表示する人の心(誠意)から出たもので無ければ、
本当は無添加でなくても、そう表示する事は可能ですし、
そう表示することで得られるものを求めようとすれば、
意識的にそう表示される事もあるからです。
無農薬と書きながら、農薬を使う事も厭わない人が居ることも
容易に想像できます。

私が『食べ物』を通して、学んだ事は、
『作っている人が、何を求めてそれを作っているのか』
表示ではなく、私たちはその人の存在、
その人の思いを現した仕事そのものに感謝することで、
『喜びが繋がり、命の糧として相応しい食べ物』として
信頼することが出来るという事でした。

この26年前のこの経験と直感は、
その後の私の生き方、人生を選択する基準を創ってくれました。
それは、人への信頼の礎は、
その人の何を求めているのか、その願いに私自身が繋がれるかどうかだという事でした。那谷寺赤い屋根

考えれば、それは誰もが、そうしていることなのかもしれません。
例えば、お金を儲けたいという願いを持つ人は
そういう作業や仕事と繋がるでしょうし、
名誉や賛美が欲しければ、それが得られる場を求めるでしょう。

言葉(表現や表示)は、人に気に入られるように取り繕う事も出来ます。
無農薬という表示。
人の為に奉仕したいという表明。
福祉社会を作るというマニフェスト。
子どものため・・という母親の言葉。

しかし、真実を求める心(魂)から言葉でなければ、
誰か、何かの受け売りで使われた言葉は、
直ぐに変異して、世のもの(業)に流されてしまいます。

真心が求めるものを実現しようとする表示(マニフェスト)が余りにも少ない政治に、
主権者である1人1人の生活者が、諦めるよりもっと悪い事態、
政治を行おうとする人への懐疑を作ってしまったように思います。

私が続けてきた活動の近いところ、
あるいはその周りで『選挙と政治』の動きが出る度に、
平和で友好的であった市民活動がガサツキ、
後ろに回ったり、仲間であったはずの人が知らない人を装ったりするのは、
何故なのだろう・・。
私はその度に、問い、眺め、人の心を感じようとしてきました。

「そんな探求は政治学者に任せて、
あなたはやるか遣らないかが問題なのよ」
「人の心なんか、自分の得になれば賛同し、
損になると思えば反対に回る。ただそれだけよ」
と言ったのは、親しい女性議員でした。

政治を志す人の表示と内容の乖離は、
多くの人々を懐疑から、不信感や潜在的な怒りの感情となって固まってしまったかのようです。那谷寺境内

政治を志した人は、政治の場に居る間に変質するのか、
それとも最初から『表示』は有権者に迎合していただけなのか?
という私の問いの設定は、誤りだったような気がします。

『その人』の在り様は、
その人の魂が求めるものが瞬間、瞬間、選び取り、
その結果、その人自身を創り上げていくものですから、
その時の環境によって、選択する可能性は無数に変数となるからです。
しかし、それであっても変わらないものが在る気がします。

それは、その人の持つ根っこがどこに在るかということです。
その根っこが命に深く根ざした人と、
いつも社会に派生した虚飾(地位、名誉など)を追って、
他者に翻弄されている人とでは、『表示』の真実性が違ってくると思うのです。
候補者だけでなく、有権者の行動も・・・・。
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