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今夏の家族登山

夫がこよなく愛する奥穂高岳への登山は、
我が家の毎夏の恒例行事。

子どもたちは受験や部活で参加できない時もありましたが、
息子たちは2人とも6歳から標高3190mの奥穂高岳に登り始め、
もう、20回以上登っているので、家族にとっては庭のような場所です。

息子たちが中学生になると、体力も運動能力も夫と並ぶように、
年々、体力と脚力の弱まる私の歩行ペースではとても着いて行けず、
ここ数年は、麓で山を駆け巡る山男たちを待っている慣わしでした。

ところが、今年は夫から
「来年からは、子どもたちも試験や実習で一緒に登る時間が取れるかどうか分からない。 せっかくだから、今年は家族みんなで登りたいと思う。
ゆっくり、登れる所まで行けば良いから、一緒に行こう」
と、繰り返し要望があり、少々、思案した私。

私の足では上高地から7時間ではもう登れそうもないし、
夫と息子たちの登山は、格闘スポーツさながら、
休憩をほとんど取らずに登るつわもの達。
彼らのペースを乱すのが心苦しくて麓族をしていた私は
「でもね、体力的な不安じゃなくて、何度も言っているように
みんなの『お荷物』になるのが辛くて嫌なの・・」と
ややんわり、辞退をすると・・・
「あっはっは!
そんな事なら、今でも誰かさんは充分我が家のお荷物になっているんだから、
いまさら気にしなくても良いじゃないか。
来年になったら、体力だってもっと無くなっているだろうし、
家族全員で歩き始めてみようよ・・・」
と夫。
「な~るほど。確かに家族に守ってもらっているのは、
いつもの事だよね。分かった・・。」私
「歩けなくなったら背負って登るから大丈夫だよ」と夫。

かくして、私は何年ぶりかで本格的な登山靴を履いて、上高地縮小版

家族4人縦列で、河童橋を眺めながら歩き始めたのでした。

夫と知り合わなければ、穂高連邦が在ることも知らず、
登山をする事もなかったであろう私。
息子たちが生まれるまで、たくさんの山を登りました・・・。

懐かしい道、水場、ナナカマドの枝えだ・・
私たちの列の後ろに足音が近づくと、
「みんな、よけて・・」と
最後尾の長男が声をかけてくれる。
ゆっくりとしたペースで進む私たちを、何人もの人が追い越していく。
穂高連邦縮小版

木陰を吹く風は、やはり標高が2000mを越すと
強い日差しとは別に、心地よく冷たく感じる。

しかし、今まで高山病とは無縁だった私に頭痛が始まり、
吐き気や虚脱感で足元がふらつくように感じると、
直ぐ後ろの次男が
「みんな、ちょっと休憩。母さん、ちゃんと水分を取って。
 ゆっくり休めば良いから」と指令。
何回も、何回も休憩を取り、7時間。

柄沢で昼食の大休憩を取ると、私の体は限界を向かえ、
一気に奥穂高岳山荘まで到達できそうにありませんでした。
「私はここに1泊して、明日、合流するから、
皆は奥穂高小屋まで行って。」
と懇願しても、3人は頑として聞いてはくれません。

「弱った人間を1人置いて出発するなんて出来ないよ。
気にしなくて良いから、ゆっくり休んで」と、長男。
こうして、その日は柄沢での1泊が決まり、
私はそのまま深い眠りに・・・。
長男や次男、夫がかけてくれたいたわりや気遣いの言葉が
眠っている間も、体の中を流れ、
体と意識の重さを清めていく時間、眠り続けました。

私が眠っている間に、3人は奥穂高山荘まで往復して
夕食までに帰って来たようですが、私はそれに気づくことなく
「熱中症だったかもしれないけど、まぁ、今はもう落ち着いているし・・・」
とかすかな話し声を耳に、朝を迎えたのでした・・・。

翌2日、念願の、奥穂高山荘までたどり着き、ご来光縮小版
私は天空で朝のご来光を家族みんなで、見ることができました。

初めて奥穂高山荘のテラスからご来光を眺めたのは34年前。
時代も人も家族の姿が変わっても、
天空と下界を分けるこの雲海は、何年たっても全く変わらぬ表情を見せて
新しい朝日を私たちに齎してくれています。

神様、私の家族をありがとう・・・。
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